top of page
検索

108 無常は絶対的

  • sapporobukkyoujuku
  • 1月23日
  • 読了時間: 1分

 真理とは、ものがあるか否か、私がいるか否かではなく、すべて絶えず無常として流れている現象があることです。我々は花が散るのを見て、「ああ、無常だなあ」と言ったりしますが、それは本物の無常ではありません。私に言わせると、花を見た瞬間でも無常でしたし、それから散っている過程でも無常でした。それに気づかず、咲いている花と散っている花を比較して無常だと言うのは、本来の無常ではないのです。本物の無常は比較的でも対照的でもありません。無常は無常なのです。いつでも無常です。常にある真理なのです。絶対と相対という観点で言えば〈絶対的〉なのです。〈比較的〉ではないのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《無常》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【仏教と脳科学うつ病治療セロトニンから呼吸法・坐禅、想・まで 有田秀穂氏との共著 (2010年) p323】

 
 
 

最新記事

すべて表示
気持ちいい

我々は、「楽しい」とか「気持ちいい」とか言いますが、この「気持ちいい」ということ自体も痛みなのです。例えばマッサージしてもらうと気持ちいいと感じるでしょう。もともと痛みがあったならば、マッサージを受けて、「ああ気持ちいい」と言うのです。でも本当は、マッサージ自体が痛みなので...

 
 
 
「痛み」の正体/「痛み」が正体

基本的に、細胞というのは痛みで生きているのです。皆、痛みは消えてほしい、消えてほしいと思うのですけど「それならば死んでください」としか言えません。痛みは消えないのです。なぜならば細胞というのは痛みで生きているので、他の感覚はないからです。楽しい感覚、快楽の感覚は細胞にはない...

 
 
 
心の明るさは消えません

次のatthaṅgamāyaは「なくす、消える」という意味なのです。だからと言って、「覚った人をぶん殴っても痛くない」ということではありません。身体の痛みはありますが、ただ身体の痛みだけで、精神的には痛みは全くない。愁いと悲泣の場合は乗り越えるのです。外のことですから、それ...

 
 
 

Comments


bottom of page