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札幌仏教塾
不変性を表現している
「A があるときB が生まれる」と言うとA とB の間には必然的な関係が生まれている。ですからA があるときB があるのであって、A があるときたまたまB があるというわけではないのです。或いは「ほとんどA があるときB...
sapporobukkyoujuku
5 時間前読了時間: 1分
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必然的な関係
お釈迦様は人間が生きていること、存在そのものについて研究して、システムを発見して、それをしゃべっているのです。それがたまたま厳密に論理的になっただけです。世のなかにあることだから、それは当たり前のことです。お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B...
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1 日前読了時間: 1分
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理の如くに意識をはたらかす
yoniso-manasikāra (ヨーニソー マナシカーラ)という言葉がありまして、漢訳仏教語では「如理作意」となっています。理とは「ものの理」のことです。その「理の如く」に「意識(意)をはたらかす(作す)」ということなのです。いいかげんに自分の感情、感覚で、自分の好き...
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2 日前読了時間: 1分
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ありのままに見る
正しい観察の仕方という意味で、パーリ語でいつでも使うのはyathābhūtaṃ passati(ヤターブータン パッサティ)「如実に見る」という言葉です。日本語で人気のある“ありのままに見る”という言葉はその訳です。日本語では一般的な言葉になっていますが、その意味は全然分か...
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3 日前読了時間: 1分
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一つの方法しかない
人の意見に対して柔軟な態度をとっても構いませんが、実践になると曖昧な方法ではいけないのです。あのやり方でもこのやり方でも良いのではないかと言われると、どうすれば良いのか分からなくなるのです。ですから、心を清らかにするならば、悩み苦しみをなくすならば、一つの方法しかないと決定...
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4 日前読了時間: 1分
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認識に至った過程
お釈迦様は他宗教の方々の考えについて一方的に批判することを止めて、その認識に至った過程が正しいか否かを調べるのです。要するに、お釈迦様は認識論(epistemology)を大事にしたのです。他人の意見に対しては、その意見に達した方法が客観的で事実に基づいているか否かを調べて...
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5 日前読了時間: 1分
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同じ真理を発見する
〔お釈迦様は〕「私が言っていることが嘘だと思うならば、嘘だと証明してみなさい」というふうに語ります。教えへのアプローチをオープンにしておくのです。なぜかというと、ブッダの教えは真理だから、誰がどのように研究してみても真理を発見する人は同じ真理を発見するはずなのです。【アルボ...
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6 日前読了時間: 1分
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品格
初期仏教の経典では、あとから勝手に編集できないように、厳密に真理を語っていますが、「これしかないよ」とわざわざ言う必要もないのです。お釈迦様は品格を大切にしていましたから、「私こそ真実を語っているんだぞ、他の人の説く真実を聞くな」というような言葉はないのです。【アルボムッレ...
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3月26日読了時間: 1分
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大念処経
大念処経は一般の人々もかなり暗記しています。長いけれど暗記しているのです。私も子供のころお寺へ行ったとき、在家信者さんたちは、修行に来たら、夜ゆっくりと朝まで暗記して唱えていたのです。さすがにいまの人々は憶えてないみたいですが。私がスリランカにいた三十五年ぐらい前までは、お...
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3月25日読了時間: 1分
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生きるという衝動
人々には、様々な性格、様々な能力、様々な好き嫌いがあるものです。完全に同一の生命は存在しません。しかし、生きるという衝動はみな同じです。生き方がそれぞれ変わっているだけです。お釈迦様の教えは、全ての生命に適用できるように普遍的な立場で語られているのです。いかなる人間にも、自...
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3月24日読了時間: 1分
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166 不幸になる親子関係は切ってもいい
家族が協力し合って、いたわり合って、慈しみ合っているならば、それはすばらしい関係でしょう。でも、憎み合っているなら、どうでしょう。家族が互いに呪い合う関係だったら、もう生き地獄でしょう。自分だけでなく相手もそうです。たとえば子供が親を呪ったり増んだりすれば、親も子も精神的に...
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3月22日読了時間: 1分
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165 家族が認知症になっても、自我を捨てれば問題ない
当たり前のことをしていれば、全部解決なんです。ある人が私に、「認知症になった家族が自分のことを忘れているんだ。『あんた誰?』と言われるんだ」とこぼすんです。私は、「それでいいじゃないですか。『隣の家からお見舞いに来たおじさんだよ』と言ってあげたらどうですか?」と答えたんです...
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3月21日読了時間: 1分
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164 ひとり立ちしたら親子関係を調整する
生命は平等ですから、それぞれが幸福にならなくてはいけません。親のせいで子供が不幸になるのはおかしいし、子供のせいで親が不幸になるのもおかしい。ですから親子であっても、互いの幸せを考えて、関係を調整することが必要です。「親子の縁を切る」というのは、その極端な形です。建物をつく...
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3月20日読了時間: 1分
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163 概念を先に叩き込むと妄想が始まる
我々はありとあらゆる概念をつくって暮らしています。文化も社会も教育も、すべてが概念の世界です。今の教育はいかに概念を早く叩き込むかということですから、赤ちゃんもすぐに母親から概念を叩き込まれます。本来、子供はあまり経験をしていない分、概念も少ないはずですが、今は概念を先に叩...
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3月19日読了時間: 1分
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162 子供に執着しない
親子関係は永遠のものではありません。ほんの一時的な関係で、会社に入って、そこの社員になったような感じです。社員と会社は退職するまでの関係なのと同じく、親子も子供が一人前になるまでの関係にすぎません。人間は感情があるために、一時的な親子関係がいつまでも続くかのように勘違いして...
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3月18日読了時間: 1分
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161 「笑って幸福になる」という智慧の笑い
笑いについては少し注意しなくてはいけないこともあります。私が言いたいのは、「笑って幸福になってください」ということであって、「幸福だから笑う」ということではないということです。「笑って幸福になる」という場合の笑いと、「幸福だから笑う」という場合の笑いは、まったく違います。「...
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3月17日読了時間: 1分
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160 笑えばエネルギーが増え、頭も回転する
明るく笑って過ごすことです。笑うために理由はいりません。ただ笑ってしまえばいいのです。なんのことなく笑っていると、またエネルギーがどっと増えます。どんなことにでも笑ってしまう人間になれれば、ものすごく頭がよく回転します。...
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3月16日読了時間: 1分
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159 仏教のユーモアには品格がある
仏教のユーモアとはどういうものでしょうか。その特徴をいうと、①品格があります。②役に立ちます。③教えがあります。この三つを要素としたユーモアです。世間の品格のない笑いは無駄話とします。そして、「品格のある笑いのほうが、より才能が必要とされる」という見方をします。仏教の笑いは...
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3月15日読了時間: 1分
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158 疲れているときにこそユーモアを
人は、「ちょっと疲れている」くらいの 状態でも、けっこう怒りっぽくなるものです。調子がよいときは心に余裕があって、人に対して気を配ったり、親切にできる人でも、自分が何か心配ごとで手いっぱいだと、ふだんはなんでもないことでも気になって妬んだり、恨んだり、被害妄想を抱いたり、こ...
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3月14日読了時間: 1分
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157 いかなるときもプライドを傷つけない
お釈迦さまは、「客観的にみると、なんでも面白く、おかしくみることができるのです」と、おっしゃいます。本当に、客観的にみると笑えるのです。何かを見て「面白いなぁ」と思ったら、笑ってもよいのです。一人をからかってもよいのです。しかし、一つだけ気をつけてほしいことがあります。人の...
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3月13日読了時間: 1分
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