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札幌仏教塾
vipassanā-ñāṇa 観智 ①~⑤
vipassanā-ñāṇa 観智 ①~⑤ ヴィパッサナー実践をする修行者は、まず客観的に観察して、生きるとは何かとデータを集めます。そして ①思惟智が現れます。命とは生滅している流れである、と発見します。次に ②生滅智が現れます。現象は派手に壊れるものである、と発見します。次に ③壊滅智が現れます。今まで生きることに喜びを感じましたが、今度は生きることに対して、恐怖を感じるのです。そして ④怖畏智が現れます。 ⑤結論として、命には何の価値もない、と発見します。「生きていきたい」という執着がある限り、苦しみの虜になってしまう、と発見します。分かりやすく俗っぽく言えば、生きるとはろくでもないことだ、と発見することです。しかしこれは、品のない言葉ではありません。超越した智慧なのです。何にも、何の価値も成り立たない、と発見することです。これは無価値論だと言うべきところです。過患智とは、偏見で長所を無視して、短所だけ取り上げるやり方ではないのです。無常たるものには、価値は成り立たない、という智慧のことです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学
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2 時間前読了時間: 1分
命は儚い
命は儚い 命には無上の価値があるとしっかり信じてはいるものの、同時に「死ぬのは怖い」とも思っているのです。命に無上の価値があるといって強烈に執着していますが、現実は違います。命は儚いものです。あっけなく死にます。苦労して、やっと命を繋いでいるだけです。それを頭では理解することができます。しかし、気持ちは変わりません。 命には無上の価値があるという錯覚と、命はあっけなく壊れる儚いものであるという現実が、頭の中で混乱状態をつくります。気持ちと現実は正反対です。心の中で常に対立が起きているのです。この葛藤は耐えがたいものです。それで心は暴走し始めます。さまざまな妄想概念をつくって、葛藤を沈静化しようとするのです。これはそう難しい話ではありません。「身体が壊れても、魂は不滅です」「人は死後、天界に生まれます」「永遠不滅の天界があります」「人間とは、慈悲深き全知全能の偉大なる神様の作品です」「人間のことを神様は無条件で愛しています」「人々は神に守られています」などということは、よく聞く話でしょう。こうした言葉は一つとして、立証されたわけでも、理解して経験し
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1 日前読了時間: 2分
観智:⑤ 過患智は無価値の発見
観智:⑤ 過患智は無価値の発見 次の智慧は、過患智ādīnava-ñāṇa です。Ādīnava というのは、disadvantage ということで、「悪いところだけを見る」ということです。ものには長所と短所の両方がありますが、短所だけ見えてしまうということです。「ものごとに長所も短所もあるのだから、あえて短所だけ取り出すことは、悲観主義者のやり方ではないでしょうか? 偏見ではないでしょうか?」そう思うのは、偏見を持っている俗世間の人間です。人間の生き方は、それとは違います。皆、自分の命に、この上ない価値があるという前提で生きているのです。 命に価値があると証明したわけではないし、調べたこともありません。ただの気持ちです。本能として、その気持ちがあるのです。「命には無上の価値がある」という錯覚がなければ、生きていられないのです。そう信じなければ、苦労を無視して生きることにがんばることができないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p48】
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2 日前読了時間: 1分
切迫感・恐怖感を感じさせる ⑵
切迫感・恐怖感を感じさせる ⑵ あなたはその場合、どういう態度を取りますか?」。そうお釈迦様が王に訊きます。「いや、そうなったらもうどうしようもないから、死ぬまでの僅かな時間に何か善いことをします。正しく生きるより他に、できることはありませんね」と王様は答えました。 王の答えに対して、お釈迦様はこのように語られます。「今すでに、人の命は四つの巨大な山で潰されつつあるのです。四つの山とは、生・老・病・死です。人が生まれた瞬間から、その生命は生・老・病・死に押し潰されているのです。人には時間を無駄に使う余裕はないのです。真理に従って、正しく生きるより他の選択はないのです」 このようにして、国王の贅沢にふけるだらしない生き方、国政のために罪を犯す生き方を戒めたのです。お釈迦様はあえて、国王の心に恐怖感を入れてあげたのです。王とは、常に暗殺に怯えている生きものです。死の恐れはあるのに、軍事力でそれをごまかしているのです。お釈迦様はコーサラ国王に、「あなたはもうすでに殺されかけているのですよ」と説かれたのです。 真理を発見するために、執着をなくすために、解
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3 日前読了時間: 2分
切迫感・恐怖感を感じさせる ⑴
切迫感・恐怖感を感じさせる ⑴ お釈迦様もわざと人間に切迫感・恐怖感を感じさせて、人々が必死になって努力しなくてはいけない状況に追い込むこともありました。エピソードがたくさんあります。その中から、一つを紹介しましょう。 ある日の昼時、コーサラ国王がお釈迦様を訪ねました。常識的には、釈尊が人に会う時間帯ではありませんでした。そこで、「なぜ、あなたは昼時に来たのですか?」とお釈迦様が訊きます。王は答えます。「我々はとても忙しいのです。時間がないのです。やっと今少々時間がとれたので、釈尊に礼をするために来ました」と。 お釈迦様は、いきなり喩え話を出します。「もし、あなたが裁判をしているときに、あなたが北の方に送った信頼できる諜報員が来て、『王様、北の方から大きな山が転がってきます。すべての家や建物や人間や動物や植物までも潰して潰して、一人の命も残さず、こちらの宮殿に向かってきています』と報告するとします。その報告が終わるやいなや、南の方に送った諜報員が来て、『王様、南の方から大きな山が転がってきます』と、同じ調子で報告します。次に、東の方の諜報員も、西
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4 日前読了時間: 2分
恐怖感もためになる
恐怖感もためになる 皆、一生懸命がんばっているのも、金儲けをしたり、家を建てたり、家族を大事にしたりするのも、どこかで不安感があるからです。どこかで恐怖感があるからです。不安感・恐怖感がないと、人間は退化します。堕落します。ですから一概に、恐怖感をなくしたい、不安感をなくしたい、と願ってはならないと思います。不安感・恐怖感を感じると、人々は「なんとかしなくてはいけない」という気持ちになります。切迫感を感じるのです。努力しなくてはいけない、という必然性を感じるのです。この緊張感が、とても大事です。それは怠けの反対です。成長することの起爆剤なのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p47】
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5 日前読了時間: 1分
乗っていた船が壊れて沈没している
乗っていた船が壊れて沈没している 修行者の心が、次に「滅」という現象に定着します。「壊れてもまた生まれるから」という慰めも得られなくなるのです。すべて壊れて、壊れていくのです。うたかたのようです。それまでは執着することで、生きることをなんとか繋いでいたのです。その執着が、成り立たなくなったのです。どう安心すればよいのか、術が見つかりません。そこで激しい恐怖感に襲われます。もう、修行を始めたときの人間ではありません。人格が変わっているのです。 執着をして生きている人々の生き方は滑稽に見えますが、自分の人生も激しく揺らいでいるのです。それには理由があります。それは、心の向きです。まだ、心が俗世間の方に向いているためです。たとえ解脱を目指して修行を始めたとしても、解脱とは何か、分かっていたわけではありません。俗世間の生き方と比較して、解脱という何かを推測しただけです。そして、この時点で自分が乗っていた船が壊れて沈没しているのに、浮き輪さえも見つからない状態に陥ります。このような精神状態に達することも、人格向上です。ここを経て修行者は、徐々に世間の次元を
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6 日前読了時間: 1分
順を追って心は変わる 4:人格が変わる
順を追って心は変わる 4:人格が変わる 今までは有論(ものごとは「有る」という立場)で生きてきました。執着するのは当たり前だ、という世界でした。執着していたものが無くなると、その苦しみも感じていました。それが生滅智が現れてからは、ものごとに、自分に、執着するというスタンスが揺らいでしまうのです。ものが「有る」という錯覚のお陰で、金があれば安心だ、家族がいれば安心だ、などなどの無知から生まれた虚構の安心感で生きてきました。 しかし、その土台も、今、崩れていくのです。ものは「有る」のではないのです。生じて滅するのです。安心感が崩れたからといって、その代わりに何かに執着して、新たな安心感をつくることもできません。すべては生・滅なので、何もあてにならないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p46】
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10月16日読了時間: 1分
順を追って心は変わる 3:理解が深まる
順を追って心は変わる 3:理解が深まる 今まで、「ものは有る」という前提で生きてきました。「有る」はずのものが「無くなる」と、悩んだり苦しんだりもしました。お金が無くなると、親しい人々と死に別れになると、健康を害して病気になると、苦しんだり悩んだりもしました。あってはならないことだと、無意識的に思っていました。無知で、現実を無視して生きてきました。 ヴィパッサナー実践をしていくと、現象は「有る」のではなく、生と滅を本性としているのだと発見します(現れるものはすべて滅するものであると、ここで疑いなく完璧に納得に達することができれば、預流果の悟りに達したことになりますが、普通の人々の場合は、それだけの智慧で悟りは現れません)。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p45】
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10月15日読了時間: 1分
順を追って心は変わる 2:観察実践で常識を超える
順を追って心は変わる 2:観察実践で常識を超える ヴィパッサナー実践をする人も、膨らみ・縮み、痛み・かゆみなど、そのときそのときの「有る」感覚を確認していきます。この実践は思考・妄想・雑念を抑えるので、概念を頭で合成するはたらきも減っていきます。思考することなく、「有る」現象を観察していくと、新たな発見があります。「現象は、生まれては消えるのだ」ということです。今までの認識を覆っていた膜の一つが剥がれます。現象は「有」ではなく、「有であって無になる」ということを発見します。有が無になるので、現象は「有+無」ということではありません。生滅智とは、常識を一段階超えたところのことです。常識では、生滅を発見できません。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p45】
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10月14日読了時間: 1分
すべて有論の範疇 (はんちゅう)
すべて有論の範疇 (はんちゅう) すべての生命の認識は、「有論 (うろん)」です。それが膨張すると、存在論にも、我論にもなります。それにとどまらず、実体論、有身見、絶対神論、梵我一如論、如来蔵論、大日如来(法身仏)などなども現れるのです。人は何を認識しても、何を考えても、す...
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10月13日読了時間: 1分
順を追って心は変わる 1:普通の認識(ものは存在する)
順を追って心は変わる 1:普通の認識(ものは存在する) 我々の普通の認識、要するに常識というものは、ものは存在する、ものが「有る」、という前提で起こるものです。音が有るから、聴こえる。花が有るから、見える。絶えず認識が起きているので、絶えずものごとが存在するという前提も強...
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10月12日読了時間: 1分
怖畏智が心に与えるインパクト
怖畏智が心に与えるインパクト 修行者が経験する壊滅智は、一般人には決して経験できるものではありません。常識を超える経験なのです。いかなる現象であっても、確実に、瞬間に、壊れていくことを観ています。修行しない一般の方々は、壊れることを妄想して、イメージをつくって、怖いと感じま...
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10月11日読了時間: 1分
観智:④ 怖畏智は恐れ
観智:④ 怖畏智は恐れ 次はbhaya-ñāṇa 怖畏智です。壊れるのは怖いです。これが摂理です。しかし、それだけ聞いても、すぐには理解できないでしょう。 我々はどのように恐怖感を持ちますか? 癌になるのは怖い。病気になるのは怖い。人に殴られるのは怖い。仕事をクビになるのは...
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10月10日読了時間: 1分
生ではなく、滅に定着
生ではなく、滅に定着 生滅智の次に、壊滅智が現れます。生と滅という二つの本性から、滅という本性に心が定着します。 なぜ生ではなく滅に定着するのか、という疑問が生じます。理屈だけ言うならば、心が生に定着することもあり得ます。しかし、今は理論を話しているところではなく、実践を語...
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10月9日読了時間: 1分
「滅」でなく「壊」のインパクト
「滅」でなく「壊」のインパクト 壊滅智のパーリ語はbhaṅga-ñāṇa です。滅はパーリ語でnirodha です。壊はbhaṅga です。意味は同じですが、ニュアンスが違います。Bhaṅga とは「壊れる・壊滅」という意味なので、刺激的で怖く感じる言葉です。ものごとが存在...
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10月8日読了時間: 1分
一切現象の本性
一切現象の本性 例えば、「膨らみ、縮み」と観察していたとしましょう。このステージに達すると、膨らみ・縮み、ではないのです。膨らみを観察しようとすると、膨らみとして無数の「滅の流れ」が観えてしまうのです。その流れが消えたら、当然、縮みになります。しかし、縮みだと観えるのではあ...
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10月7日読了時間: 1分
観智:③ 壊滅智は滅だけ観える
観智:③ 壊滅智は滅だけ観える 次はbhaṅga-ñāṇa 壊滅智が生まれます。壊滅智という言葉を聞いただけで、怖くなるかもしれません。高度な集中力で現象を観察すると、修行者には現象が生まれては消えていくことが明確に分かるようになるのです。このときは、他のことを観察する余裕...
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10月7日読了時間: 1分
集中力の波
集中力の波 この智慧に達したからといって、「膨らみ、縮み、痛み、かゆみ」などの言葉で確認する状況を超えて、「生・滅」と確認するところに進んだと思ってはなりません。集中力は上がったり下がったりです。波があります。ヴィパッサナー実践は、準備となるサマタ瞑想をしないでおこなう場合...
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10月5日読了時間: 1分
一切の現象の生滅を発見
一切の現象の生滅を発見 一切の現象の生滅を発見すると苦しみを乗り越えて解脱に達するのだ、という話は、修行に入る前から、実践者は説法を聴いて、法を学んで知っているはずです。それは知識です。経験ではありません。ヴィパッサナー実践の順番を踏まないで、最初から生滅を観てやろうではな...
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10月4日読了時間: 1分
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