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002 最高の幸福とは

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年11月2日
  • 読了時間: 1分

 究極の幸福の定義とは、「終わりなき生きる戦いに終止符を打つこと、生きる苦しみがなくなることが最高の幸福である」ということです。生きることは、戦いです。それも終わりのない戦いです。その戦いの終了宣言ができたならば、「よくやった」という気分になります。それが究極的な幸福なのです。幸福は外の対象にあるものではなく、自分の心の中にあるものです。幸福はご飯にあるのでも、テレビにあるのでも、お金にあるのでもありませんし、家族にあるのでもありません。何を得ても満足、喜びを感じる性格に変わるなら、その人には幸福があるのだと言えます。何をやっても、「ああ、よくできた、良かった」と、それぞれに満足が得られれば、楽しく、幸せに生きていくことができるのです。「santuṭṭhi満足」という言葉は仏教では大変大切な命のような言葉です。我々は「天国での永遠の命」というくだらないことは目指していません。心理学的に、精神的なところで「満足」ということを狙っているのです。 『一分で読むブッダの教え』第1章 あなたの毎日を、喜びと幸せで満たす 《幸福とは何か? 》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【智慧は人生の針盤 人がめざすべき幸福の話」 (お釈迦さまが教えたこ8,2009年) p50】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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