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003 善行為と悪行為の基準

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年11月3日
  • 読了時間: 1分

 すべての生命は苦しみを嫌い、幸福を求めます。それが生命の、生きる衝動になっているのです。したがって、自分が苦になる生き方は悪であり、自分が幸福になる生き方は善です。自分の生き方が苦になる、堕落する生き方は、悪行為です。ですから学校をサボることも、仕事をサボることも悪行為です。目先の楽を求める代わりに、自分が幸福になる可能性を削りとっているのです。また、他人に苦を与える生き方も悪行為になります。すべての生命は苦しみを嫌がるものであると承知しつつ、他人に苦を与えるのなら、それは悪なのです。反対に、他人に幸福を与える生き方は善になります。これが善悪の理論です。貪(欲)・瞋(怒り)・痴(無智)からの行為・言葉・思考は悪で、不貪・不順・不痴からの行為・言葉・思考は善。そして、自分や他人が幸福になる生き方は善で、自分や他人が苦む生き方は悪。とてもコンパクトで、覚えやすいと思います。『一分で読むブッダの教え』第1章 あなたの毎日を、喜びと幸せで満たす 《幸福とは何か? 》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【人生は美しく清らかに 潔癖VS清浄 (お釈迦さまが教えたこと5,2007年) p120】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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