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006 人生は障害を乗り越えることの連続

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年11月6日
  • 読了時間: 1分

 たとえば、小さな子供が初めて幼稚園に行くことも、その子供にとってはあらゆる障害を乗り越えることなので、結構きついものです。でも、これに負けて「ぜんぜんうまくいかない。友達とも仲良くできない」などと泣きながら家に戻ってしまっては、まるで話にならないでしょう? このように、生まれたときから死ぬまでずっと、大きさはいろいろですが、乗り越えなくてはいけない障害はいつでもあるのです。子供の例でいえば、幼稚園の障害を乗り越えれば、無事に幼稚園を卒業して今度は小学校に行けます。それで、その障害を乗り越えればまた無事に小学校を卒業して中学生になれます。このように、人生というのは障害を乗り越えることなのです。それが真理であって具体的な事実ですから、障害のない幸福は成り立ちません。ですから、仏教からみれば悲観主義も楽観主義も、まったくくだらない話ということになります。その障害を乗り越えると幸福を感じられますし、次の障害を乗り越えればまた幸福です。『一分で読むブッダの教え』第1章 あなたの毎日を、喜びと幸せで満たす 《幸福とは何か? 》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3 (サンガ新書010,2007年) p121】

 
 
 

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