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061 時間は待ってくれないと知ろう

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年12月31日
  • 読了時間: 2分

 無常をもう少し理解する必要があります。若くて元気でいるのはほんの五、六年でしょう。時間のスピードは、恐ろしいものですよ。だから、そんなに落ち着いていられる場合ではないのです。たとえば、小学校というのはたった六年間で、どれほどのことを学ばなくてはいけないか、どれほど成長しなくてはいけないかということを考えてみてください。そこで無駄に過ごしたら、永久にダメージを受けるでしょう。大学はたった四年です。それで一人前の人間にならなくてはいけません。だったらなぜ、その時間を無駄にするのでしょう。男は三十五、六歳でも、四十歳でも結婚できるのだけれど、女性はそうはいかない。老いるスピードがものすごく速い。人生に対して緊張感をもってほしいのです。「ああ、時間は待ってくれないのだ」と。だから、「どのような仕事をしようか」などと言っていられる場合ではないのです。皿洗いでも、男性なら土を掘ることでも、なんでも、とにかくやるしかありません。生きていなくてはいけない、親の面倒をみなくてはいけない......というふうに、結局は今やるべきことに賭けるしかないのです。『一分で読むブッダの教え』第1章 あなたの毎日を、喜びと幸せで満たす 《今、この瞬間を生きる》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【出家の覚悟日本を救う仏教からのアプローチ」南直哉氏との共著 (2009 年) p188】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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