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063 執着して道具の奴隷になってしまう

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年1月2日
  • 読了時間: 1分

「あれもこれもありがたいと思って、感謝の気持ちで生活するべきだ」という話さえも、あべこべです。「毎日おいしいご飯をいただいて、ありがとうございます。感謝いたします」とお祈りしながらご飯を食べる人も、なんのお祈りもせずにご飯を食べる人も、同じように老います。死にます。結局は、ありがたくないのです。人は「命を支えてくれるから、ありがたい」と思って、財産に、権力に、家族に、仲間に、自分自身に、徹底的に執着して生きています。ありがたいものを得るために、得たものを守るために、苦労します。罪を犯します。お金のため、財産のために、生きる奴隷になってしまうのです。財産や家族などは、生きることを支えてくれるはずの道具なのに、道具に支配される生き方になるのです。見事なあべこべです。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《心の癖》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【あべこべ感覚 役立つ初期仏教法話7」(サンガ新 022, 2008年) p166】

 
 
 

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