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070 どうにもならない反応で生きている

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年1月9日
  • 読了時間: 1分

 意志は情報に触れることによって必然的に起こるものです。体にデータが触れると、否応なく意志が生まれます。その意志は自分では管理できません。そこで、「他の意志によって生かされている」と思ってしまうのです。たとえば、美しい花を見ると気分が良くなります。お花見に行くと、立派な男性たちが、だらしのない格好で酔っ払って、大勢の人々の前でほとんど裸になって歌ったり、踊ったりしていることがありますね。あくる日、本人に「恥ずかしくなかったのか」と聞いても、「そう言ったって、どうしようもないんだよ」という答えが返ってきます。確かにどうにもならないのです。人間は、データが体に触れると意志が生まれて、猿のように反応して動いてしまうものだからです。人間は、ほとんどの場合、この「どうにもならない」ということで動いているのです。食べ過ぎも同じです。後で自分を責めても、食べているときはどうにもなりません。後悔しますが、やめられません。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《心の癖》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【智慧は人生の針盤 人がめざすべき幸福の話」 (お釈迦さまが教えたこ8,2009年) p42】

 
 
 

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