top of page
検索

072 いつも煩悩を生じさせるのは自分

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年1月11日
  • 読了時間: 1分

 山は煩悩ではないのです。花は煩悩ではないのです。金銀宝石は煩悩ではないのです。金銀は単純な金属ですし、宝石は石以外の何ものでもありません。その宝石を見た人間の心に生まれる感情を、仏教は「煩悩である」「欲である」と言うのです。どんなにすばらしく、美しいと感じるものであれ、欲を引き起こす、ただの対象です。ですから、よく覚えておいてほしいのです。外の世界は悪くありません。いつでも問題は自分にあるのです。単純に自分が悪いだけなのです。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《心の癖》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【欲ばらないこと役立つ初期仏教法話13 (サンガ新書018,2011年) p68】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page