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079 不完全な言葉を回転させて恨み続ける

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年1月18日
  • 読了時間: 1分

 赤ちゃんは、花を見たら笑うし、お母さんにきつく言われたらすぐ泣きますが、それで終わってしまいます。すごく心の中はきれいです。過去の嫌なことを、ぐちゃぐちゃと言葉で考えて反芻(はんすう)したりはしません。誰の頭も、赤ちゃんのように柔らかでいてほしいのです。でも、大人は違います。嫌なことをしつこく覚えていて、思い出したりして、そういうろくでもない概念をまた延々と回転させるのです。つまり「私をののしった。私に迷惑をかけた。私をいじめた。私に勝ってしまった。私のものを奪った、といちいち頭の中で考えて怨み続けます。いつでも頭の中で「人に負けた」とか「悔しい」とか、いろいろなことを考えて怒りが生まれ、怒りはどんどん膨張して、他人を破壊する前にまず自分を破壊して、不幸を味わってしまいます。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《心の癖》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【怒らないこと 役立つ初期仏教法話1 (サンガ新書 003, 2006年) p49】

 
 
 

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