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087 自分を直せば幸福に生きられる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年1月26日
  • 読了時間: 1分

 感情というものは、外部から大きな影響を受けますが、それもこれもひっくるめて、やはり根本においては個人しだいです。「怒るのも、愛情をつくるのも、その個人の勝手である」ということを、まず理解してください。怒るのは誰のせいでもなく「私のせい」なのです。逆に言えば、我々にはわずかな見込み、光があるのです。それは「自分を直せば、怒りの感情を完璧に追い払って、愛情の感情、あるいは幸福の感情だけで生きていられる。その可能性が充分ある」ということです。人間と して生まれてきたからには、そのような本物の幸福を目指すべきだ、というのが仏教の考えです。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《感情と理性》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【怒らないこと 役立つ初期仏教法話1 (サンガ新書 003, 2006年) p31】

 
 
 

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