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098 怒りの流れの断ち切り方

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年2月6日
  • 読了時間: 1分

 怒った心が、次に怒りの心を作り、次にも怒りの心を作ります。だから、次から次に怒りの心を作ることで怒りの感情が増幅することもあるし、逆に減ることもあります。ある人はどんどん怒って怒って、どうしようもないところまでいってしまう場合もあるし、他の人は感情が湧いてどんどん怒って、それからどんどん減って消える場合もあります。心の感情というのは三種類で、一つは上がって上がっていって自己破壊になるか、もう一つはどんどん上がって、それからジワジワ減っていくか。さらにもう一つは、上がり下がりもなく、そのままずっと何十年も、あるつの感情の波が続くか。いずれにしても、よくないことなのです。 そこで「怒り」という感情があったら、そこを「あ、これは怒りです」と認識すると、その人はその瞬間、客観的なのです。事実をありのままに見る理性を持っています。理性の心が次の心を作りますから、次に生まれるのは「怒り」ではありません。こうして流れを切ってしまうのです。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《感情と理性》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【いまここに生きる智慧―シスターが長老に聞きたかったこと 鈴木秀子 氏との共著(2007年) p212】

 
 
 

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