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102 信じることと正しさは別物

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年2月10日
  • 読了時間: 1分

 「何かを信じる」ことは、信じる人が勝手にすればよいことです。しかし、それは「道徳」ではありません。すべての人にとって「正しい生き方」というものが、確かにあるのです。それは、「信じる」「信じない」とは、まったく別の話です。宗教に頼らざるを得なくなった人は、どこかの組織に入って自由を失うしかなくなります。そこで説かれていることが正しいのかどうかわからないまま、ただ信じなければならないからです。それでは幸せになどなれません。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《感情と理性》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【的中する生き方 役立つ初期仏教法話10 (サンガ新書(2009年) p58】

 
 
 

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