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116 「学問」より「脳のトレーニング」が大事

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年2月24日
  • 読了時間: 1分

 瞑想は脳のトレーニングですから、それに勝るものは一つもありません。数学だったら、学ぶことでいくらか脳のトレーニングになります。ここで役に立つのは、数学を学ぶことで得る脳のトレーニングです。数学自体は役に立ちません。スポーツをやっていても、だいたいのスポーツは、それ自体は三十五歳ぐらいでやめなくてはいけませんが、スポーツをやったことが脳のトレーニングになって、一生の役に立ちます。人生ではいろいろなことを学びますが、歴史や考古学や工学やら、学問として学ぶことはぜんぶ役に立ちません。しかし、学問を学ぶ過程で脳がトレーニングを受けていて、それは一生、自分から離れません。だったら直接、脳そのものをトレーニングしたらどうでしょう? そうすれば、その人はやりたいことがなんでもできます。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《心を育てる》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【現代人のための瞑想法 役立つ初期仏教法話4」 (サンガ新書 2007年)p51】

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

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