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120 相手次第で怒らない、きれいな心の人になる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年2月28日
  • 読了時間: 1分

 私たちは普通、自分にとってマイナスであるものを嫌って、嫉妬したり、憎んだり、恨んだりします。世の中の論理は、よい人には優しいですが「悪人はつぶせ」というものです。仏教では、すべての生命に対して限りなく優しさをもつことを説きます。いくら相手にひどいことをされても、「私は嫌わない、私に怒りはない」と落ち着いていられれば、すばらしいです。誰かを嫌いになったら、その人のことを考えるたびに自分が暗くなって、心が汚れてしまいます。怒りは猛毒です。どのような場合でも、怒りを正当化してはなりません。相手がどうであろうと、あっけらかんとして、何を言われてもきれいな心でニコニコしている人こそ、人生の勝者です。幸せになりたければ、そういうしっかりした人間になることです。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《心を育てる》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【心の中はどうなってるの?一役立つ初期仏教法話5(サンガ新書016. 2007年) p148】

 
 
 

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