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125 すべての行為を大事にする

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年3月4日
  • 読了時間: 1分

 瞑想とは、「生きるとはなにや」と発見することです。ごはんを食べるのに十五分かかるとします。それも生きることの一部です。皆さんは間違った価値観で、「仕事があってそちらが大事だから、ご飯はさっさと食べよう、ご飯は仕事より大事じゃない」と思ったりします。「仕事が忙しいから、家のことは大した問題じゃない」と思ったりします。それが人生の失敗なのです。無意味なことは一つもありません。いくら些細なことであっても、朝起きて歯を磨くことも大事な人生の一部です。朝起きる、歯を磨く、朝ご飯を食べる、着替える、カバンを持って出かける、電車に乗る、知り合いに会ったら挨拶をする、会社に行く、そういうふうに二十四時間のなかでやっていることすべてが生きることでしょう。一つの行為も、ほかの行為より優れているわけでも劣っているわけでもありません。とにかく「それがなんなのか」と、「ヴィパッサナー瞑想」で観察していくのです。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《心を育てる》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【現代人のための瞑想法 役立つ初期仏教法話4」 (サンガ新書 2007年) p56】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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