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129 守るべきは十項目だけ

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年3月8日
  • 読了時間: 1分

 「十悪(じゅうあく)」は、殺生(せっしょう:殺す)・偸盗(ちゅうとう:盗む)・邪淫(じゃいん:邪な行為をする)・妄語(もうご:嘘を言う)・両舌(りょうぜつ:噂を言う)・綺語(きご:無駄話を言う)・麁悪語(そあくご:悪口を言う)・瞋恚(しんに:心で勝手に妄想する怒り)・貪欲(とんよく:心で勝手に妄想する欲)・邪見(じゃけん:間違った意見をもつ)という十種類の行為です。その行為自体が、いつでも罪になると仏教ではとらえます。「十善」は、「十悪」をしないことです。「十悪」を犯さなければ、心がどんどんきれいになって、どんどん幸福に向かいます。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《心を育てる》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【的中する生き方 役立つ初期仏教法話10 (サンガ新書(2009年) p100】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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