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135 病気のときの気づきを大事に

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年3月14日
  • 読了時間: 1分

 病気になると、自分が本来持っている悪い性格が表に出てきます。けれども、それは必ずしも悪いことではありません。我々は健康なときには、悪い性格が表に出ないようにしていますが、病気になると、わがまま、不満、不親切、人と仲良くできない、雰囲気を悪くする、人に当たるなど、いろいろな嫌な性格が表に出てくるものです。その機会をうまく捉えてほしいと思います。本来の自分の性格はこういうものであったのだと気づくきっかけにしてください。そして、できるだけ早くその性格を直さなければいけないと気づいてください。そうした悪い性格のことを、仏教では煩悩と言います。煩悩とは、心の汚れです。心が汚れていれば、その心がつくる体も汚れてしまいます。ですから心の汚れをなくさなければなりません。それをいきなりなくすことはできないかもしれません。できるだけきれいな心を長時間保てるような工夫が必要です。それによって病気は治る方向へと向かいます。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《悩み》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【まさか「老病死に勝つ方法」があったとはブッダが説く心と健康の因果法則 (2008年) (改題 「老病死に勝つブッダの智慧 心と健康の因果法則」2017年) p159】

 
 
 

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