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141 リーダーは怒らない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年3月20日
  • 読了時間: 1分

 人々は、人生という馬車の手綱を取っているだけです。なんの運転能力もないのです。車のハンドルを握っているだけなら子供にもできますが、車を運転したければ免許証を取らなくてはならないでしょう。怒りを制御できない人々は、お釈迦さまの言葉によると、人生のハンドルをただ触っているだけの人です。逆に怒らない人が、他の人々の手 綱までつかんでいることになるのです。怒っている人々は、怒らない人が言う通りに行動しなくてはいけないのです。人々をつかんでいるのは(人々をリードするのは)怒っていない人なのです。いつでも、リーダーになるのは怒らない人です。政治の世界にしても、お互いにやり合ったり、けなし合ったり、いろいろあるでしょう。そういう世界であっても、何を言われても、かなり落ち着いてニコニコしていられる人が、大臣やら総理大臣やらになれるのです。ちょっとしたことで怒ってけんかしてしまうと、議員の立場もなくなってしまいます。本物のリーダーはけっして怒りません。怒らない人は、みんなの手綱(たづな)をつかんでいるのです。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《人間関係》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【怒らないこと 役立つ初期仏教法話1 (サンガ新書 003, 2006年) p125】

 
 
 

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