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143 好かれたいと思わず自然に

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年3月22日
  • 読了時間: 1分

 「好かれたい」と自分で勝手な計画を立てて生きていても、誰にもその人の台本はわかりません。「私の台本通りに世界が動いてくれ」というのは成り立ちません。ですから、風鈴のように、そのときそのときの反応で充分です。自分で台本を書くと生きづらいし不自然です。心が何もない、空の状態だったら一番ありがたいのです。そのときの風に合わせて、ただ音が出ただけ。我々の人間の関係の場合でも、その人その人の「自分」という風鈴が、適切に音を立てればよろしいのです。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《人間関係》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【仏教で生きる! 仏教対談 「悩まない生き方」 板橋興宗氏、金光寿郎氏 との共著(2013年) p91】

 
 
 

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