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152 わがままを直すべき

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年3月31日
  • 読了時間: 1分

 すべての生命は自分のことしか考えていません。いいとか悪いとかいうことではなく、自分のことしか知りません。人のことは知りません。自分の主観でものごとを見ているのです。自分の主観、自分の判断で行動すると、他人に迷惑をかけることが多々あります。他人に迷惑をかけると人間関係が壊れ、結局は自分のためになりません。自分の判断で、人のためにしたこと、親切のつもりでしたことが、相手にとってはとても気分の悪いことだったというのはよくあることです。結果は最悪です。 人はよく「思うようにいかない」と言います。「子供が言うことを聞いてくれない」と言います。先生は「生徒が言うことを聞いてくれない」と言います。「子供のためを思って言っているのに」と言うのです。「子供のため」「部下のため」「友達のため」「同僚のため」・・・・相手のためにと、自分がした判断が、相手の気持ちとずれているのです。 自分の主観でものごとを見る癖を少しでも修正しなければ、確実に悪い結果につながります。「わがまま」の心をちょっと直さなければなりません。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《人間関係》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【自分を変える気づきの瞑想法 (2004年) ([増補改訂版] 2011年) p59】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

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