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156 観察し、感情を生まないようにする

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年4月4日
  • 読了時間: 1分

 ときには、人に叱られることもあるでしょう。たまには、悪口を言われることもあります。そんなとき、人はとても怒ります。親しい人同士というのはけんかをするものです。同僚、夫婦、親子などは、いらだってけんかばかりしています。そんなとき、相手が言うことに対して「音」、「音」と、念じるのです。自分の心を汚すのは、ただの「音」です。「音」があることは事実です。だから、「音」、「音」と念じると、感情の世界は生まれなくなって、そこに消えてしまいます。そうやって心の中はきれいな「空」の状態をつくります。見たらそこで止まります。聞いたらそこで止まります。香りを嗅いだらそこで止まります。「何の香りだろう」とか、「最初の恋人もその香水をつけていたなぁ」など、そういうふうに妄想すると心の中は汚れて、汚れて、いろいろな嵐が生まれてきます。事実で止めて、感情を生まないようにするのです。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《人間関係》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【現代人のための瞑想法 役立つ初期仏教法話4」 (サンガ新書13 2007年) p134】

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

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