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161 慈しみは魔法の鍵

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年4月9日
  • 読了時間: 1分

 「生きとし生けるものが幸せでありますように」これを念じるのです。忘れないように、呪文のように繰り返し繰り返し、唱えます。声に出してもいいですし、心の中で繰り返してもいいです。「呪文のように」と言いましたが、この言葉は実際は呪文ではなく、これを繰り返し念じていくと、理論的に効果があります。原始の獣の脳がちょっと変わるのです。「私だけではなくて、すべての生命も生きたがっているのだ」という気持ちに、心が変わるのです。そうすると敵・味方が消えます。そういうわけで、これが仏教のアドバイスです。朝晩、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と念じる。計画はすべてゴミ箱に入れる。台本をぜんぶ捨てる。捨ててそのまま気楽に生きてみる。好かれようが好かれまいがどうでもいいのです。人間関係には一切問題は起きません。 『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《人間関係》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【仏教で生きる! 仏教対談 「悩まない生き方」 板橋興宗氏、金光寿郎氏 との共著(2013年) p95】

 
 
 

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