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166 不幸になる親子関係は切ってもいい

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年3月22日
  • 読了時間: 1分

 家族が協力し合って、いたわり合って、慈しみ合っているならば、それはすばらしい関係でしょう。でも、憎み合っているなら、どうでしょう。家族が互いに呪い合う関係だったら、もう生き地獄でしょう。自分だけでなく相手もそうです。たとえば子供が親を呪ったり増んだりすれば、親も子も精神的に苦しみます。そこで関係を切ってしまえば、どうなるでしょう。親子の関係が切れても、それぞれが社会で生きていくための関係を再び築き上げます。それで親子間の苦しみもなくなります。親子の縁を切ることに、とりたてて問題はないのです。仏教では「一切の束縛を切ることこそ幸福である」と説きます。束縛から問題が起こる、ということです。関係には、切れるものも切れないものもあります。親子関係は簡単に切れるものです。子供は「私には親がいない」と開き直ればいいし、親も「私には子供なんかいなかったのだ」と開き直れば、楽しく明るく生活できます。親子関係とは、そのくらいのシステムなのです。深刻に考えることではありません。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《親子関係》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる親は子を育て、子は親を育てる」(2017年) p76】

 
 
 

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