top of page
検索

不変性を表現している

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年4月2日
  • 読了時間: 1分

「A があるときB が生まれる」と言うとA とB の間には必然的な関係が生まれている。ですからA があるときB があるのであって、A があるときたまたまB があるというわけではないのです。或いは「ほとんどA があるときB がある」というわけではないのです。因果法則では、ほとんど、たまたま、ときどき、というふうに、「A があるときB が生まれるときもあって、生まれないときもありますよ」という五分五分は絶対ありえないのです。「A であるならば次にB」ということは、invariability(不変性)だから、「Aがないとき、Bはない」ということになります。経典では、「これが起こるとき、これも起こる。これがないとき、これもない」という表現で、不変性を表現しているのです。〔しかし〕厳密に論理的かもしれませんが、論理性を大事にしたわけではないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.24】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:③ 喜pīti

観察の汚れ:③ 喜pīti  修行中、喜びが湧いてきます。今までも修行が進んでいると喜びを感じた経験があったことでしょう。それは「うまくいっている」という程度の喜びです。しかし、今度のこれはわけが違います。喜びの波が溢あふれ出すのです。何かやり遂げたときの喜びと違って、喜びの波が勝手に現れて、身体中に行き渡ります。終わりそうもない気がします。純粋な喜びなので、何の副作用も見当たりません。「喜び中毒

 
 
 
現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません

現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません  ここはとても難しいポイントです。智慧は本物です。観察する三相も現象の本物の姿です。ありのままの姿です。修行者も指導者も、疑問に思う必要はまったくありません。では、なぜ障碍になるのでしょうか。修行者が自分の経験を「これは解脱ではないのか」と解釈したからです。これは、ヴィパッサナー実践する誰もが陥りやすい落とし穴です。  修行者はこの落と

 
 
 
観察の汚れ:② 智慧ñāṇa

観察の汚れ:② 智慧ñāṇa  言葉がないので、ñāṇa を智慧と訳しました。仏教用語としての智慧はpaññā です。そのpaññā ではないと言うために、障碍になる智慧についてパーリ語でñāṇa という言葉を使っているのです。  ここで言うñāṇa とは、ヴィパッサナーの智慧のことです。強烈なスピードで無常・苦・無我が観えるのです。どんな現象を観察しても、その現象は無常・苦・無我に分解されて観え

 
 
 

コメント


bottom of page