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不変性を表現している

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年4月2日
  • 読了時間: 1分

「A があるときB が生まれる」と言うとA とB の間には必然的な関係が生まれている。ですからA があるときB があるのであって、A があるときたまたまB があるというわけではないのです。或いは「ほとんどA があるときB がある」というわけではないのです。因果法則では、ほとんど、たまたま、ときどき、というふうに、「A があるときB が生まれるときもあって、生まれないときもありますよ」という五分五分は絶対ありえないのです。「A であるならば次にB」ということは、invariability(不変性)だから、「Aがないとき、Bはない」ということになります。経典では、「これが起こるとき、これも起こる。これがないとき、これもない」という表現で、不変性を表現しているのです。〔しかし〕厳密に論理的かもしれませんが、論理性を大事にしたわけではないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.24】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

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広げていけれど

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