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173 子が自立する育て方を

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年4月21日
  • 読了時間: 1分

 家族はいくらけんかしても心は通じ合っているから、社会では強いのです。しかし、自立するときはそれでは駄目です。親の責任というのは自立させることであって、それこそが愛情なのです。「うちの子はもう手がかかりません、一人で勝手にやっていますよ」と、自立して離れていることを自慢するくらいがいいのです。 歩き出すころから頑張らないと駄目だと思います。お母さんがまだ小さい子供に「一人でできるでしょ? 」と言いますね。あれはすばらしい言葉です。本当はまだ一人でできないことでも、子供は「もう一人でできるんだぞ」と思えます。親も子供も自立していくことを喜んだほうがいいのです。そうすれば親にも負担はないし、子供が親のことをうるさく思うこともなくなって、お互いによく褒めあえる存在になれます。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《子育てと親孝行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【なぜ悩む! 幸せになるこころのしくみ 玄侑宗久氏との共著 2005年 (改題「仏弟子の世間話」 サンガ新書) p168】

 
 
 

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