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266 老いても、できることはたくさんある

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年9月14日
  • 読了時間: 2分

 「私が生きていると、みんなの役に立っているのだ」と思えるならば、「人生は苦しい」とか、「なぜこんなことをするのか」と言う暇がないのです。自分が生きていることで人が助かっているのだから、必死で生きていかないといけない。そうやって自分にポジティブになる生き方、周りにポジティブになる生き方を選びなさいということです。仕事がつまらないと感じた瞬間に考えてください。「あなたの仕事は、どれくらい人の役に立っているのか?」と。役に立つ生き方はいくらでも見つかります。年寄りは年寄りなりにできることがあるのです。たとえ寝たきりになっても仕事があります。寝たきりになったら、自分の孫たちに、看病することや老人を大事にすることを教えてあげられます。孫たちが来るたびに、「私にはすばらしい孫がいて、なんて幸せでしょうか」と褒めてあげるとか。「こんな優しい孫がいてよかった」とかね。そう言ったりすると、孫の人格も変わります。「仕事があるのに私の見舞いに来てくれて、なんていい子だ」という一言で、寝たきりのおじいさん、おばあさんでも人類に貢献しているんです。そんな生き方だったら、困ることなく簡単に実践できます。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《老いの生き方》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【迷いと確信 大乗仏教からテーラワーダ仏教へ 山折哲雄氏との共著 (2007年)】

 
 
 

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