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277 病気の人にかける一言

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月1日
  • 読了時間: 2分

 あるとき、私のことをいろいろ助けてくれたおばあ様が、骨を折って入院しました。私の都合が悪い日に誰かがお見舞いに行くというので、病院のおばあ様に「今度病気になる場合は、前もってことわってください」と伝えてもらうように頼んだのです。これって、お見舞いで言う言葉ではありませんね。でも、それを聞いたおばあ様は「あのお坊さんは、いつもわがままばかり言って」と笑っちゃうでしょう? それで治ります。ちょっと冗談っぽく言うのですが、嘘や無駄話はありませんから、それが真理なのです。「今度病気になる場合は、前もって言ってください」と言われると、「真理」が見えてくるでしょう? 人はいつ病気になるかわからないし、いつ足の骨が折れるかわからない。そのおばあ様も、もう年ですから、「人生ってそういうものだよ」と、そのまま受け取ってほしい真理も入っている。でも、病気になっていいわけではない。私からしてみれば、早く治してほしいという期待も入っています。期待はあっても言葉には出さないという、そこはすごく複雑な心理なのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《病気》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【いまここに生きる智慧―シスターが長老に聞きたかったこと 鈴木秀子 氏との共著(2007年) p134】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

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