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282 人が死について語るのは妄想

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月6日
  • 読了時間: 1分

 実際に瞑想をする方は、よくわかると思います。 瞑想をすると、すごく嫌な気持ちが出てきます。しかし、瞑想は、考えてみれば仕事や料理より簡単なことでしょう。それなのに、もし、お坊さんから「二時間瞑想すれば覚れますよ。あるいは、一カ月間ビルの掃除をすれば覚れますよ」と言われたら、あなたはどちらを選びますか? おそらく一ヶ月間のビル掃除を選ぶことでしょう。生きることと違ったことは、脳がやりたくないからです。生きるための維持管理で精一杯の脳には、「死」というプログラムはありません。「死」は理解不可能です。しかし、世の中には人々の死がいろいろありますから、自分勝手な考え方で「死」を理解します。そもそも、脳には死を理解できないのですから、勝手にに死を理解しても、それは正しくありません。その正しくない理解からあらゆる妄想概念をふくらませ、死について実にたくさんのことを語ります。死について人間が語る内容はすべて、ゴミと同じようなもので大したものではありません。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【僧侶が語る死の正体 (2016年) p263】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

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とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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