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284 死を意識する

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月8日
  • 読了時間: 1分

 死ぬということは必ず起きることなのですから、できるだけ早く考えたほうがいいのです。子供に対しても、「自分も他人も死ぬんだよ」と教えてください。そうすると、世の中が正しく見えてきます。物事を考えるようになった時点で、「人は死ぬものなんだ。同じように、私も死ぬんだ」と、よく観察しなくてはいけないのです。私の母も、いつも「人は死ぬんだよ」と教えていました。「いつまで甘えているんだ。私が死んだらどうするんだい?」と言っていました。子供の自分は、母親から死ぬと言われて、ものすごいショックでした。でも、いつかは死ぬんだ、みんな死ぬんだと、死を意識していると欲がなくなってきます。みんなと仲良くするようになります。それで心が明るくなるんですね。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【スマナサーラ長老の仏教塾(2016年) p215】

 
 
 

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