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285 たとえ殺されそうになっても、殺してはいけない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月9日
  • 読了時間: 1分

 仏教では、たとえ自分が殺されそうになっても相手を殺してはいけない、と教えます。殺さなかったら殺される、という場合は、たいてい相手を殺してしまうでしょう。「それでも理論的には罪ですよ」と、仏教では強調します。正当防衛で相手を殺して寿命をまっとうしたとしても、大したことはありません。そのとき生き延びても、一年先か十年先かはわかりませんが、どうせ死ぬのです。その場で殺され た場合と、大した違いはありません。生まれた私は、必ず老いて死ぬと決まっています。ほんのわずかにでも罪を犯す必要はありませんから、「じゃあ、どうぞ」と殺されても構わないのです。自分の人生がそれで縮まったとしても、短い人生を罪を犯さず立派に生きたことになります。とにかく「自分の人生では罪を犯さない」と決めることです。この「決める」という働きだけは、いつでも自分の心がやっています。自分の心が決めたのだから、その結果も受けなくてはいけなくなるのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる親は子を育て、子は親を育てる」(2017年) p87】

 
 
 

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