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291 生きるときも死ぬときも一人

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月15日
  • 読了時間: 1分

 生きることは残酷です。そもそも一人で生まれなくてはいけません。赤ちゃんはお腹の中にいるときから自分の力で大きくなって、自分の力で呼吸して、自分の力で生きていなくてはいけない。自分の力で母体にしがみついているのです。生まれてからは、助けてもらえますが、でも、たくさんの仕事を赤ちゃんが一人でやらなくてはなりません。自分でおっぱいを吸わなくてはいけない。吸ったものを自分の身体で、自分の力で消化しなくてはいけない。そうやってずーっと生きて、死ぬときも一人で死ななくてはいけないのです。誰にもどうすることもできません。死が間近になってくると、だいたい極端に一人ぼっちになります。危篤状態になったら、もう完全に自分だけの世界にいます。心は働いていますが「こんにちは」と声をかけても聞こえません。目を開けているなら見えるかもしれませんが、何もしゃべれません。完全たる孤独で、そうなったときには誰かが指導することもできません。ですから、元気に生きているあいだに、我々は「無執着の訓練」をすべきなのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【僧侶が語る死の正体 (2016年) p310】

 
 
 

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