top of page
検索

292 死にたくないわけ

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月16日
  • 読了時間: 1分

 我々は「死にたくない。死ぬのが怖い」という感情を持っています。それには理屈がありません。なぜ死にたくないのですか? 「死ぬのが怖い」と言ってしまうと、死んだ経験はないのだから、合理的な理由が何も見つからないのです。自分が知っているのは、他の人が死ぬことだけです。「おじいちゃんが死んじゃったから、私は死ぬのが怖いです」と言っても、おじいちゃんが死んだことは悪かったのか良かったのか、死ぬのがきついかどうか、なんてわからないでしょう。でも、死ぬのが怖いことには、本当は理由があります。私たちは輪廻の中で数え切れないほど死んできたのだから、「死ぬのが怖い」と、本当は憶えているのです。死んだ経験は、本当はあります。死ぬたびに、ものすごく悔しいのです。せっかく元気よく、気持ちよく生きていたのに、死んでしまうのですから。その悔しさから「死ぬのは嫌だ」と思ってしまうのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【Ⅱ「ブッダの実践心理学 第二巻 心の分析」 藤本晃氏との共著(2006年) p230】

 
 
 

最新記事

すべて表示
現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる

現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる しかし見清浄に達したら、これらの悩みは減ります。これらの悩みをもう少々、観てください。何か問題があります。それは「自我」が絡んでいることです。すべての悩みに「私は」という主語があります。「私がいない」という想定で実践しなくてはいけないのです。私がいない、という想定で実践できるようになってから初めて、現象がnāma とrūpa に分けて観えるよう

 
 
 
修行者たちの悩み

修行者たちの悩み ここでもう一度、修行者たちの悩みを考えてみた方が有益だと思います。周りがうるさくて集中できません。一緒に座っている人の鼻息が気になってしまいました。足が痛くて長く座れません。座る瞑想をすると、かならず眠気が襲ってきます。もう少々涼しいところであるならば、気持ちよく修行できると思います。床に座るよりは椅子に座った方が楽だと思います。妄想の流れが切れません。夢を見ているような感じで妄

 
 
 
それなりの安らぎ

それなりの安らぎ見解が消えたら、心は穏やかになります。楽になります。安らぎを感じます。解放された気分になります。 このとき、「こんな安らぎは初めてです」と、修行者が驚いて感動することでしょう。しかしこれは危険です。まだ解脱に達していません。智慧を完成していないのです。それを修行者に教えてあげなければなりませんから、指導者のアドヴァイスは欠かせません。この場合は、修行者は最終的な解脱に達したのではな

 
 
 

コメント


bottom of page