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295 ありがたいことも、ありがたくない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月19日
  • 読了時間: 1分

 私たち人間は、生命は、すぐ死ぬのですから、これを助けてくれる人というのはありがたいと思い込みます。生きることを支えてくれるものは、何であろうとも「善いもの、価値あるもの」と思ってしまいます。しかし、ありがたいことがいくらあっても、ありがたくないのです。なぜなら、死ぬからです。死に対しては、どんなありがたいことも、支えてはくれません。自分という存在は無常ですから、死にます。「死なないために」と考えて得るものは、すべて無常のものです。助けてくれるはずはありません。おぼれて死にかけている人は、波を握って助けてもらおうと思っても、おぼれます。助けてもらいたいと思うなら、何か流れないものをつかまなければなりません。無常のゆえに死ぬ人は、無常のものにしがみついても、死ぬことは避けられません。ですから、あれこれ、ありがたいと思うことも、あべこべです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【あべこべ感覚 役立つ初期仏教法話7」(サンガ新 022, 2008年) p165】

 
 
 

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