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298 死ぬときに悔いなしと思える人生を

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月22日
  • 読了時間: 1分

 生まれてから死ぬまでのあいだ、うまくずっと面白いことをやって生きることができれば、死ぬとき、悔しくありません。死ぬときに、「ああ、けっこうやりたいことをやって生きたなあ」「もう思い残すことはない」「大丈夫だ」と、そういうふうに思えれば、死ぬときに「悔しい」とは思わないでしょうね。きっと、「ああ、満足に生きた。では、残る次の仕事は死ぬことだ」と、すっきり思えるでしょう。そうなるよう、目指すべきなのです。我々は、死ぬときに「あれもこれもぜんぶやりました。悔いなし」というふうになるよう、生きなくてはいけないのです。つまり、「あなたは今日、何をやったのか?」という、それに尽きるということです。あなたは今日、何をやっていたかと聞かれたときに、「今日はけっこう元気で頑張った」「今日はけっこう楽しかった」「今日は充分、生きていました」と言えたなら、その人は成功者です。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【13歳のチカラが世界を変える [新版] 13歳へ p28.】

 
 
 

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