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301 死随念で慈しみと理性が現れる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月25日
  • 読了時間: 1分

 葬式を行なったとしましょう。遺体を見て、「この人は亡くなって死体になっている。私も確実にこのようになる。私にも死が訪れる」と念じます。このように他人の死を観て、自分の死に入れ替えてみることが死随念です。徐々に、自分の死も現実的に感じられるようになります。「私は死なないのだ」というあり得ない前提が消えて、「誰でも死ぬのだ」という前提になります。人生設計が変わります。幸福になりたいという目的は変わりません。事実を前提にした計画なので、期待通りの結果になります。ものがあっても、ものに執着しない。家族や親しい人々がいても、人々に執着して悩んだりはしない。自我を張って他人に迷惑をかけることがなくなります。欲・怒り嫉妬などの感情がなくなります。それらと交替して、慈しみと理性が心に現れます。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第七巻 p89】

 
 
 

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