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304 死ぬのは誰のせいでもないから

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月28日
  • 読了時間: 1分

 我々はずっとみんなに支えられて生きていますが、自分の肉体はみんながいくら助けてくれても壊れます。みんなのせいではなくて、自分が壊れるのです。お医者さんを千人集めても、家族や親戚がみんなそろっても、どうにもなりません。ですからそのときは、何の憎しみも恨みも持ってはいけません。今までずっとけんかしていたとしても、そのときはすぐ申し訳ないという気持ちにならなくてはいけないし、ほんの少しでも、恨みも憎しみも未練も持ってはいけない。なぜならば、いくら未練を持っても、もう自分の身体が駄目ですし、死ぬのは誰のせいでもないからです。残っている恨みも憎しみも嫉妬もすべて消して、けんかもぜんぶ取り消して「みんな幸せでありますように、ありがとうございます」という慈悲の気分をつくる。仏典では、そうすると確実に梵天に生まれ変わると言っています。天界も飛ばして、もっと上に転生するのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【なぜ悩む! 幸せになるこころのしくみ 玄侑宗久氏との共著 2005年 (改題「仏弟子の世間話」 サンガ新書) p223】

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

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