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306 長生祝福できるのは仏教だけ

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月30日
  • 読了時間: 2分

 理性で考えれば、天国を創った人々は早く死んだほうがいいのに、なぜ、一分、一秒でもこの世に長くいたいと思うのでしょうか? それは、「死後は永遠なり」という保証がまったくないからです。しかし、仏教は、一分一秒でも長生きしなさいと明言できます。なぜでしょうか。徳を積むこと、善行為をすること、心を清らかにすること、これは人間でなければできないからです。ですから、「命を粗末にしないで、しっかりと心を清らかにするようにしなさい」「一分でも長生きができるように食事もコントロールして、しっかり生きてみなさい」と説くのです。長生きを祝福する権利があるのは、仏教だけです。もし、他宗教で長生きを祈願したならば、その人が天国に行く道を阻むことになります。天国で幸福になることを延期するのは罪でしょう。早く神様のところへ行ったほうがいいのではありませんか。仏教は、「死んだらどうなるのかわかりません、地獄に堕ちるかもしれないのですから、一分でも長生きをしましょう」「その一分間ででも善行為、善いことをしましょう」という理屈なのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【智慧は人生の針盤 人がめざすべき幸福の話 (お釈迦さまが教えたこ8,2009年) p116】

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

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