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307 亡くなるときは赤子のように

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月31日
  • 読了時間: 2分

 お母さんが赤ちゃんをあやすでしょう。赤ちゃんの顔を見て、自分の顔を手で隠して「いないいないばあ」とやっただけで、赤ちゃんはおもしろそうに笑いますね。いない、ということは怖いはずなのに、赤ちゃんは屈託なく笑い転げます。まさに天真爛漫という言葉がぴったり合うような赤ちゃんのあの笑顔。なんの不安もなく、なんの疑いもなく、心から笑います。あの笑いです。人間が死ぬ瞬間も、赤ちゃんのように、ああいうふうに笑って死ねたら最高の終幕なのです。赤ちゃんは、なぜあれほどまでに無心に笑えるのでしょうか?それは、自分のことを無条件に愛してくれている母親がそばにいるからです。安心しきってなんの不安もないのです。ですから、我々が死ぬときもなんの不安もない状態で、安心しきって死んでいく、それこそが、最高の幸福です。そうした心をつくるためには、「死の瞑想法」を実践して、「死とはなんであるか」という事実をきちんと理解しておく必要があるのです。若いときから死とは、朝歯を磨くこと、朝食をとることなどとまったく同じ当たり前のことだと観察しておけば、歳をとって、実際に死ぬ瞬間になっても、とても冷静に穏やかになんの不安もなく、恐怖感もなく、目を閉じるように最期の息を止めることができるのです。その人もまわりの人々も来世のことを心配する必要もないのです。死を観察し続けた人が、死後の世界の準備を十分整えているのです。死後、幸福になることは確実です。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【まさか「老病死に勝つ方法」があったとはブッダが説く心と健康の因果法則 (2008年) (改題 「老病死に勝つブッダの智慧 心と健康の因果法則」2017年 p206)

 
 
 

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