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001 幸福感は、楽や辛さでは量れない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年11月1日
  • 読了時間: 1分

 「幸福」とは何でしょうか? 第一に、「不満がないこと」が幸福だと言えます。ご飯を食べてもあまり満足できないのであれば、幸福だとはいえませんね。満足できれば幸福を感じるでしょう。それは、おにぎりを食べることが幸福なのか、ウナギを食べることが幸福なのかという比較の問題ではありません。「あなたは、何を食べると満足を感じますか」ということなのです。何を食べようとも、満足を感じたところが幸福なのです。もう一つは、「充実感を味わえること」です。「ああ、良かった、意味のあることができた」という気持ちになれば、難しいことをやっても、苦しいことをやっても気分が良いですね。たとえ、体力を使うきつい仕事をやったとしても、「よくやった」という充実感が生まれるなら、そちらに幸福があるのです。ですから、辛いとか、楽しいとかが幸福のバロメーターではないのです。肉体的に辛くても幸福なときはあります。逆に、肉体的に辛いところはないのに不幸なときもあります。『一分で読むブッダの教え』第1章 あなたの毎日を、喜びと幸せで満たす 《幸福とは何か? 》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【智慧は人生の針盤 人がめざすべき幸福の話」 (お釈迦さまが教えたこ8,2009年) p49】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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