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お釈迦様が発見された因果法則

  • sapporobukkyoujuku
  • 22 時間前
  • 読了時間: 2分

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相依性)という特色を挙げて因果法則を説明しています。


 因果法則についてはここでは詳しくは説明しません。一般の日本語で言えば、「A があるときB が生まれる」と言うとA とB の間には必然的な関係が生まれている。


 ですからA があるときB があるのであって、A があるときたまたまB があるというわけではないのです。或いは「ほとんどA があるときB がある」というわけではないのです。因果法則では、ほとんど、たまたま、ときどき、というふうに、「A があるときB が生まれるときもあって、生まれないときもありますよ」という五分五分は絶対ありえないのです。


 「A であるならば次にB」ということは、invariability(不変性)だから、「A がないとき、B はない」ということになります。経典では、「これが起こるとき、これも起こる。これがないとき、これもない」という表現で、不変性を表現しているのです。厳密に論理的かもしれませんが、論理性を大事にしたわけではないのです。事実を語っていたので、たまたま論理的になっただけです。

 
 
 

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