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広げていけれど

  • sapporobukkyoujuku
  • 5 日前
  • 読了時間: 1分

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです。誰かが「お釈迦様はよく論理的にしゃべります」と言ったら、かなり嫌だっただろうと思います。目の前ではなくて、どこか他の所で誰かがそういう話を広げてしまうと、そこへ出かけて行って反論してくるのです。「論理だけ」という評価はもうすごく嫌だったのです。そういうエピソードは経典にも残されています。

アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016 p21

 
 
 

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