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018 善行のすすめ

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年11月19日
  • 読了時間: 2分

 「幸福は心にあり」とわかった人にだけ生きる目的が生まれます。それを知らない人々は皆、犬や猫や他の動物たちの生き方と何の差もありません。ただ流れに乗って生きているだけです。そこには、目的がありません。人間ですから、食べるもの、着るものなど、いくらか必要なものはあります。これは最小限揃ったら、それで充分です。後はお金のためではなく、心を清らかにするために頑張ってみるのです。目標があると、生きる不安や曖昧さがなくなります。仕事に行って、家に帰って、後は寝るだけという毎日の生活に、何か献身的な行為を足してみてください。「私は毎日の生活で精一杯です」と言ってしまうと、犬や猫のレベルを卒業できません。毎日のマンネリな生き方に何かを足してほしいのです。お金目当てではない、献身的なことです。「小さな善から始めてみる」ということが大切です。一つの善いことは、次の善いことにつながっていきます。その積み重ねによって、心が清らかになっていくのです。いことをしたことを心にフィードバックして、喜びで満足を感じるのです。『一分で読むブッダの教え』第1章 あなたの毎日を、喜びと幸せで満たす 《喜びを感じて生きる》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【智慧は人生の針盤 人がめざすべき幸福の話」 (お釈迦さまが教えたこ8,2009年) p54】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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