top of page
検索

049 歩くという重要性

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年12月19日
  • 読了時間: 1分

 歩くということは深い哲学です。ただA地点からB地点に行く、という大したことのない話ではありません。昔は「歩く」ことには深い意味がありました。歩くということは、いろいろな人に会うこと、いろいろな環境に出会うこと、いろいろな違う環境を経験することです。ずーっと自分を変えること、学ぶことなのです。昔は今みたいに大学という具体的な場所はなく、インド全体が大学であって、あちらこちらに教授や、学問のプロがいるような感じです。歩いていかないと学べないのです。一人の人が歩いて、教えてくれる人を探す。それが人生であって大学でした。歩くということは学ぶこと。歩いていろいろな人に会って話してみて、猫に出会ったら猫にもちょこっとしゃべったり、犬に出会ったら犬にもしゃべってみたりして、ずーっと人生は変わって変わって成長していったのです。『一分で読むブッダの教え』第1章 あなたの毎日を、喜びと幸せで満たす 《よく生きるためのコツ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【迷いと確信 大乗仏教からテーラワーダ仏教へ 山折哲雄氏との共著 (2007年) p22】

 
 
 

最新記事

すべて表示
無常・苦・無我と解脱の関係

無常・苦・無我と解脱の関係  解脱に達するためには、一切の現象が無常であり苦であり無我であると観察しなくてはいけません。集中力が上がったら、修行者は五番目の道非道智見清浄に入るところから意図的に無常・苦・無我を観察してきました。そのとき、現象は互いに異なる三つの本性を持っているように観えます。さらに修行すると、無常・苦・無我のうち一つの本性だけが心によく分かるようになります。心はその本性にあえて興

 
 
 
自分の修行は完了したのだろうかと、観察する

自分の修行は完了したのだろうかと、観察する  この観察が終わったら、自分の修行は完了したのだろうかと、観察します。まだいくつかの煩悩が残っていること、まだまだ感情が湧きでる可能性があることを発見します。それは残りの煩悩の観察です。  残りの煩悩の観察が、悟りに達してたちまちできるかどうかは分かりません。解脱に達したショックが冷めたところで、再び心を観察するやり方もよいと思います。遅かれ早かれこの観

 
 
 
いろいろな方法がすべて間違いであるとが実証済みとなる

いろいろな方法がすべて間違いであるとが実証済みとなる  解脱に達することができたのは、釈尊の説かれた観察方法を実践したからです。したがって、苦を乗り越えるためには観察実践が正しい方法であるということになります。心を清らかにするために、魂を浄化するために、真我を体験するために、などなどの目的を設定して、その目的に達するために世の中でいろいろな方法が説かれています。それらはすべて間違いであると、修行者

 
 
 

コメント


bottom of page