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071 自分の心のささやきに勝てるか?

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年1月10日
  • 読了時間: 1分

 「嘘をつかない」と決めても、心が「嘘をつきなさい」とささやきます。「殺さない」と決めても、敵を、嫌な人を、邪魔な生命を「処分しなさい」と心はささやきます。「バレないなら邪(よこしま)な行為も何のことはない、自然な行為だ」と心はささやきます。「悪を犯さないことで自分が損をしているのではないか」「皆にバカにされるのではないか」と心がささやくのです。自分の心のささやきに、逆らう勇気がありますか? たとえ「私は嘘をつかない」と決めても、心は耳元で、「嘘をつきなさい」とささやくのです。心のこのささやきにはたいていの人が負けてしまいます。私たちは、まず世間から「嘘をついたほうがトクだ」「本当はバレなければ殺してしまったほうがラクだ」などといった暗黙の攻撃を受けています。しかし、それだけでなく、自分の心も自分を攻撃するのです。世間様と自分の心、二つの激流があるのです。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《心の癖》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【智慧は人生の針盤 人がめざすべき幸福の話」 (お釈迦さまが教えたこ8,2009年) p81】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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