top of page
検索

095 性格を計画的に変えよう

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年2月3日
  • 読了時間: 1分

 性格は死ぬ寸前まで変わり続けるのです。日々年を取ることも、体という環境の変化です。年を取るたびに性格が変わる。住む場所、する仕事、付き合う人々、ペットなどによっても性格が変わるのです。けれども、どのように変わるかは、わかりません。ですから、理性に基づいて計画的に性格を変えたほうがよいのです。“変わること”と“変えること”は違います。悪い性格からよい性格へ、またよい性格からより優れた性格へと、計画的に変えていくのが正しいのです。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《感情と理性》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ありのままの自分アイデンティティの常識を超える」 (お釈迦さまが教えたこと 4,2007年) p102】

 
 
 

最新記事

すべて表示
修行者たちの悩み

修行者たちの悩み ここでもう一度、修行者たちの悩みを考えてみた方が有益だと思います。周りがうるさくて集中できません。一緒に座っている人の鼻息が気になってしまいました。足が痛くて長く座れません。座る瞑想をすると、かならず眠気が襲ってきます。もう少々涼しいところであるならば、気持ちよく修行できると思います。床に座るよりは椅子に座った方が楽だと思います。妄想の流れが切れません。夢を見ているような感じで妄

 
 
 
それなりの安らぎ

それなりの安らぎ見解が消えたら、心は穏やかになります。楽になります。安らぎを感じます。解放された気分になります。 このとき、「こんな安らぎは初めてです」と、修行者が驚いて感動することでしょう。しかしこれは危険です。まだ解脱に達していません。智慧を完成していないのです。それを修行者に教えてあげなければなりませんから、指導者のアドヴァイスは欠かせません。この場合は、修行者は最終的な解脱に達したのではな

 
 
 
nāma とrūpa の流れに過ぎない

nāma とrūpa の流れに過ぎない 解説すると、このようになります。「私」というのは、心と物質の流れです。二種類の流れに、仮に、世俗的に「私」と言っているだけです。「私」という何かがあるわけではないのです。『念処経』で説かれているように、この経験を活かして自分を観察する・他を観察する・両方を観察する、という順番でおこなってみるならば、以下のような結論に達します。「生命とは、生きるとは、命とは、

 
 
 

コメント


bottom of page