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099 感情的にならないよう気をつけよう

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年2月8日
  • 読了時間: 1分

 感情で生きていると「これはちょっとまずいからやめておこう」などという調整が難しいのです。感情的になっているときは、理性が機能しません。ですから、夫婦のあいだでも、恋人同士でも、お互いのタブーを破ってしまう。言ってはいけないことを言ってしまったり、やってはいけないことをやったり、いろいろなトラブルが起こる。そのとき理性は機能しなくなっています。しかも、感情には波があります。上がったり下がったり、けっこう波は激しいのです。上がったら「集中力」がありますが、下がってしまうともう「集中力」なんてひとかけらもない、というようなことになります。たとえば、ライバル意識から勉強する場合、怒りがエネルギー源になって「集中力」を発揮して、勉強に励みます。しかし、怒りというのは、そのうち下がります。そうすると「まあ、いいや」「どうでもよくなった」「やーめた」となって、勉強をやめてしまいます。感情というのは何か一定の、安定した力をもちません。ですから、ちゃんとした成果が出るまで「集中力」が保てるかどうか、まるで保証されないのです。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《感情と理性》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの集中力 役立つ初期仏教法話9」 (サンガ新書2008年) p110】

 
 
 

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