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100 悩むべきことは何もない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年2月8日
  • 読了時間: 1分

 ある男の人が私とけんかをして家に帰ったとしましょう。皆さんは、そういう場合、どのような気分になりますか? 落ち込んだり、悩んだりしそうですね。しかし、けんかして相手が帰るくらいのことは、世の中でごく普通の、当たり前のことでしょう。どうしてそれくらいのことで悩むのでしょうか。ごく普通で当たり前のことで悩むのなら、今日のお天気のことで悩むのと同じです。「今日雨が降らなくて困ったなぁ」と落ち込めばいいでしょう、あるいは「今日暖かくてどうしよう」と落ち込めばいいでしょう。そういうことであなたは落ち込むでしょうか? さらに言えば、人生で起こることはなんでも当たり前なのです。不思議なことは一つも起こりません。それなのに、なぜ悩んだり、怒ったりするのでしょうか? 『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《感情と理性》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダのユーモア活性術 役立つ初期仏教法話8(サンガ新書 026,2008年) P65】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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