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103 衝動的な行動と道徳的な生き方の戦い

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年2月12日
  • 読了時間: 1分

 「ついやってしまう」衝動的な行動と、「道徳的な生き方」との戦いにおいて、「道徳」を守ろうとする人は毎回、毎回、苦労するでしょう。殺さないたびに、毎回、苦労します。怒らないたびに、毎回、苦労します。そして、どんどん、自分の心に気づいていきます。自分に「怒りがあるから、憎しみがあるから、こんなに苦しんでいるのだ」と、気づくのですそして、「では、『怒り』をなくそう、生命を慈しもう。みんなかわいいと思って生きよう」と思えて、楽になります。つまり、それまでのように感情からすぐに行動を起こすのをやめて、自分の状態に気づき、理性で考え、判断して行動できるようになっていくのです。生き方の選択を間違うことはなくなっていきます。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《感情と理性》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【的中する生き方 役立つ初期仏教法話10 (サンガ新書(2009年) p123】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

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広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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