top of page
検索

107 人間関係も一時的なもの

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年4月3日
  • 読了時間: 1分

「このバラは赤い」というのが、無智な私たちの普通のとらえ方ですが、無智を破って智慧のある見方ができるようになると、現象というのは、すべて因縁による一時的なものだとわかるのです。明るい太陽光が当たれば赤、純粋な青い光や紫外線、赤外線が当たればまた別の色、白い光が当たれば別の色、室内では別の色……となります。そういうふうに考えていくと、「本当は何色だろう?」と知りたくなるでしょう。しかし、「本当の色」などというものは存在しないのです。本来、「本当にこの色だ」というものはないのです。すべて一時的です。人間関係でも同じです。Aさんが、あなたに「私は田中さんのことは大嫌いです」と言ったとします。「どうして?」とあなたが聞くと「あの人は裏切り者だから」とAさんが答えたとします。そのときあなたは「ああ、そうなんですか」で終わらなくてはいけません。もし、「ああ、そうですか、やっぱり田中さんは悪い人なんですね」と、決定するとひどい目にあいます。もしかすると次の日には、Aさんは田中さんと仲良くしている可能性があります。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《無常》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【バカの理由 役立つ初期仏教法話12 (サンガ新書045) p116】

 
 
 

最新記事

すべて表示
学生は初めから健全な精神状態でいなくてはならない

学生は初めから健全な精神状態でいなくてはならない  アビダンマの心理学では、俗世間的な心理学を説明する気持ちは初めからありませんでした。解脱を目指す人間に必要な心理学のみを語っています。俗世間の心理学者から見れば、アビダンマ心理学はもの足りなく感じる可能性もあります。仏教の立場から見れば、俗世間の心理学は幼稚的な遊び以外の何ものでもありません。アビダンマ哲学者たちがさまざまな精神病に対して少々説明

 
 
 
観察の汚れ:⑥ 確信adhimokkha

観察の汚れ:⑥ 確信adhimokkha  心・心所の説明でadhimokkha 勝結という心所に出会いました。何かを認識するときというのは、心がその対象から離れないで対象にくっついている状態です。この状態でなければ認識することができません。  優れた修行者が経験するadhimokkha という障碍は、心所のadhimokkha とは違います。『清浄道論』では、adhimokkha とはsaddh

 
 
 
観察の汚れ:⑤ 楽sukha

観察の汚れ:⑤ 楽sukha  楽の説明は三番目のpīti 喜と同じです。ここでは言葉の違いだけ理解しておきましょう。喜とは激しい波です。楽とはとても落ち着いた波です。楽の場合は、安楽という言葉があるでしょう。楽があって、その上、徹底した安心感もあるのです。普通の日本語でも、「これは楽しい」という場合と「これは楽」という場合には違いがあります。その違いは何かということは言葉で説明しにくいです。蜂蜜

 
 
 

コメント


bottom of page